九州で活躍中
ちょっと行ってくるわ
東京から離れた地に家を構えてもう10年。コロナで世の中が大きく変化し、仕事の仕方も大きく変わった。毎日、ぎゅうぎゅうの電車に乗って通勤していたのが嘘のようだ。コロナで失ったものがたくさんあった。その一方で得たものも多い。自分は30代前半にその影響を受けたのだが、リモートツールがあれば、それなりに当時の仕事はこなせることがわかった。ただ、あのころのリモートツールは画面上でコミュニケーションするだけだったが…。

明日は久しぶりに会社出社の日。日頃は仮想空間で仕事をしている仲間とリアルで会える日なのでとても楽しみだ。会議は9時からだが、少し早めに出社して上司と面談したいので、今回は往路は寝台列車を使うことにした。このような時代になって、人口もかなり各地方に分散している。育児、介護、趣味・・・それぞれの価値に応じて住む場所が選べるし、会社の制度もそれを後押ししてくれる。自分は子供が社会人になるまではこの地に暮らそうと決めた。自然があり、家族の時間を十分持てる。いまは学校もかなり選択の幅が広い。それはやはりリモートツールの進化によるものだろう。
夜22時。
「ちょっと行ってくるわ。明日は新幹線で帰る。」
そんな言葉を残して家を出る。子供は夕食を終えて勉強中。妻は趣味に没頭中。
この程度の負担なら全然大したことがない。
もし、一つだけわがままを言わせてもらえるのであれば・・・。
この「ブルトレ」と言われていた車両を今の時代に合ったものに代えて欲しいな。
なんてね…(笑)。

明日は久しぶりに会社出社の日。日頃は仮想空間で仕事をしている仲間とリアルで会える日なのでとても楽しみだ。会議は9時からだが、少し早めに出社して上司と面談したいので、今回は往路は寝台列車を使うことにした。このような時代になって、人口もかなり各地方に分散している。育児、介護、趣味・・・それぞれの価値に応じて住む場所が選べるし、会社の制度もそれを後押ししてくれる。自分は子供が社会人になるまではこの地に暮らそうと決めた。自然があり、家族の時間を十分持てる。いまは学校もかなり選択の幅が広い。それはやはりリモートツールの進化によるものだろう。
夜22時。
「ちょっと行ってくるわ。明日は新幹線で帰る。」
そんな言葉を残して家を出る。子供は夕食を終えて勉強中。妻は趣味に没頭中。
この程度の負担なら全然大したことがない。
もし、一つだけわがままを言わせてもらえるのであれば・・・。
この「ブルトレ」と言われていた車両を今の時代に合ったものに代えて欲しいな。
なんてね…(笑)。
夏至の頃
今年も夏至が過ぎました。
来月はじめに58歳になるのですが、この年齢になって「あと何回夏至を経験できるのだろう」なんて思うようになりました。今年の春も「あと何回桜が咲く季節を過ごせるのなか」って。日本は平均寿命が長いので「まだまだ」と思うのが普通だと思いますが、それでも残り時間の方が確実に短いので、そんなことを思うのでしょうね。両親それぞれが6人兄弟で、お正月などはそれぞれが集まっていたのですが(同世代の方は同じような方、多いのでは)、そんな伯父叔母もこの世を去った数の方が多くなり、その子供のつながりは(つまり従妹)希薄です。
自分は妻、息子、母と妹、妹の旦那様、妻の兄夫婦と義母が仲が良く、住んでいるところも近いので寂しい思いはそれぞれしていないと思いますが、ずいぶん会っていない親戚もいます。皆さん、元気なのかなぁ。

写真はまったく本文とは関係ありません。夏至の頃に撮影した写真ということで掲載しました(以前も掲載していると思います)。鈴鹿に単身赴任の頃、夏至が近づくと出社前にこの貨物を撮るのが日課になっていました。紀勢線の名撮影地だった伊勢柏崎まで追いかけることも度々。1853レだったと思いますが、ここの通過時間が7時前ころで、もう一本キハ40の5連を撮影して急いで寮まで帰り出社していたのが懐かしいです。
この写真は17年前の撮影。なんかずいぶんと前の話になってしまいました。関東地方は今日も酷暑で外出もままならないので、しばらくは古い写真を掲載しながら昔話でも書いてみたいと思います。
来月はじめに58歳になるのですが、この年齢になって「あと何回夏至を経験できるのだろう」なんて思うようになりました。今年の春も「あと何回桜が咲く季節を過ごせるのなか」って。日本は平均寿命が長いので「まだまだ」と思うのが普通だと思いますが、それでも残り時間の方が確実に短いので、そんなことを思うのでしょうね。両親それぞれが6人兄弟で、お正月などはそれぞれが集まっていたのですが(同世代の方は同じような方、多いのでは)、そんな伯父叔母もこの世を去った数の方が多くなり、その子供のつながりは(つまり従妹)希薄です。
自分は妻、息子、母と妹、妹の旦那様、妻の兄夫婦と義母が仲が良く、住んでいるところも近いので寂しい思いはそれぞれしていないと思いますが、ずいぶん会っていない親戚もいます。皆さん、元気なのかなぁ。

写真はまったく本文とは関係ありません。夏至の頃に撮影した写真ということで掲載しました(以前も掲載していると思います)。鈴鹿に単身赴任の頃、夏至が近づくと出社前にこの貨物を撮るのが日課になっていました。紀勢線の名撮影地だった伊勢柏崎まで追いかけることも度々。1853レだったと思いますが、ここの通過時間が7時前ころで、もう一本キハ40の5連を撮影して急いで寮まで帰り出社していたのが懐かしいです。
この写真は17年前の撮影。なんかずいぶんと前の話になってしまいました。関東地方は今日も酷暑で外出もままならないので、しばらくは古い写真を掲載しながら昔話でも書いてみたいと思います。